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灰色熊? きんも〜☆

夏休みも終わりですね。

東大理系一年生は明日から試験なので正直こんなことやっている場合ではないと思いますがひとつだけ。

先週くらいに描いたCGをはっておきます。季節的に今逃すとお蔵入りしそうなのでw

20070902200207.jpg




絵描き始めたのが高校一年の時で、それから地道に描いてきたわけですが、その過程を思うと軽く二三回死にたくなります。

そもそも夏休み前の僕の絵とかでさえ気づけばトラウマに…
5〜6月の絵とかよくこれを人に胸張って他人に見せられたな、ってレベルです。
(あ、過去記事検索は禁止ですよw)

こうしてみると「日本一の」大学に入ってから小学生時代程度も勉強していないということですね。(ちなみに筆者は日能研生でした)
しかも最近は小中学生でも同人活動している人がいるとかいないとか。

彼ら彼女らの下位互換(ソフト工学ではなくMTG的な意味で)になりそうで怖いです。





「下位互換」
同じ能力でありながらマナ・コストが重いとか、同じマナ・コストでありながらパワー、タフネスが低いなど、2種のカードを比べた時に一方がもう一方に明らかに劣るような場合を言う。     (MTGwikiより)



たとえば、タイトルの「灰色熊」というカードは2マナでパワー2、タフネス2なのですが、同じマナコスト、同じパワー・タフネスでありながら特殊能力を持つクリーチャーが存在するため、多くのカードの「下位互換」ということになります。

しかしながら、単純にAの方Bよりがカードとして能力が強いだけではAを上位互換とは言わないのがまたこのゲームの面白いところだったりします。(たとえばAの方がコストが大きかったり、汎用性が少ない代わりにBは特定の相手には強かったり)



さて、今回はこの「下位互換」と著作権の話。

僕は現代の著作権のあり方を疑問に思っています。
しかしながらネットで騒がれていたり、非申告化されることで活動に影響が出ることを懸念して、というわけではありません。
個人的には著作権は存在すべきだと考えています。
しかしながら、松本零次やJASRACが主張するような「ちょさくけん」のあり方には賛成できません。



先ほどの下位互換の話に戻ります。

例えばジョジョと新連載漫画とどっちが単純な意味で上か、と聞かれたらたいていの人がジョジョと言ったとしても、本質的に別物である以上、その新連載漫画は「下位互換」ではないのです。
逆に僕が今の画力でジョジョをそのまま模写した漫画を描いたとしたら、それはジョジョの「下位互換」になるわけです。(何一つ勝っている点がない、つまりあらゆる面で下位か同じかだから)

で、こうしてみると個人の利害を無視し、世の中にすぐれた作品を増やすことについてのみ考えたら著作権なんていらないのではないか、と思うはずです。なぜなら、模倣によって下位互換ができても、それが元となったものを淘汰することはあり得ないし、上位互換となる作品ができたならそれはそれで構わないわけです。(ここでKanonとかひぐらしとか連想した人は挙手!)

現に僕の敬愛する哲学者、内田樹さんは著作権は作品を世に出した時点で消滅するはず、と言っていますし(本人もブログに書いた記事の著作権を主張する気はないことを著書で書いています)、ネットでは著作権なんていらない、という人がかなり多いようです。

その理由としては、ネット民は「著作権で金銭的なものを保障することで作者のモチベーションがあがり、よりよい作品ができる」というのは嘘で、保障などなくてもクリエイターは動く、ということを知っているからかと思います。コミケやすぐれたゲーム、ニコニコ動画の自作フラッシュなどを見ているとつくづくクリエイターを動かすのはお金などではないと思います。例えばFFスタッフに、「やむにやまれぬ事情により給料を生活に必要な最低限しか出せなくなったが、それでもFFを作るか?」と聞いたらきっと 作る と返事が来ると思います。多分


そしてなぜ著作権が必要ないと考えるかというと、内田氏が主張しているように、文化というもの自体が先人の積み重ねの上に成り立っているものであるからです。(ジョジョの一見独特のアートでさえも、イタリア彫刻やゴッホ、ゴーギャンのアートにインスパイアされたものである(荒木氏談)ことなどは好例かと)

つまり、文化的なものに対する著作権事態が不自然な、不合理な権利だということです。

だから昨年の槇原氏との著作権論争における松本零次のように、自分が無から有を生み出したかのような態度は結構腹が立ちます。逆にずい分前のライオンキングがジャングル大帝のパクりではないか、という論争における手塚プロの態度は手塚氏の心をよく理解していると思います。


それに作品の数はどんどん増えていく以上、槇原氏と松本氏や、僕ときゃんでぃそふとのように「カブる」可能性は上がっていきます。


しかしながら、もし仮に著作権が一切存在しなかったらそれはそれで別の問題が起こると思います。

極端な例をあげれば、仮にTony氏が何かの弾みで僕に恨みを持ったとしましょう。
それも並みのものではなく、一生をかけても呪い殺したいくらいの半端でない恨みを。

そして僕をこの業界からはじき出すために僕が将来出すであろうあらゆる同人作品を、まったく同じストーリーで、氏の美麗な絵で作って発表していったとすればどうでしょうか。当然ですが完全なる下位互換である僕の本は多分永遠に日の目を見ないでしょう。

こういうことが実際あるかはわかりませんが、そういう意味でも弱者を強者から守る上で「弱者の権利」として著作権は存在すべきだと思います。
そして僕は著作権とはあくまで「弱者の権利」であり、それを盾に権利を当然のように主張するものではないと考えます。だからJASRACの広告などを見ているともっと「恩恵的に不合理な権利を守ってもらっている」という意識を持ってほしいと思います。



思い出話になりますが、去年くらい鹿児島の路面電車の中
「違法コピーでオイラの歌が死んじゃうよ!」

と叫ぶミュージシャンの絵のJASRAC広告ポスターを見ましたが、

僕に言わせれば

「僕…音楽以外でまじめに働くこととかできないんで…恥ずかしながら法律で生活守ってほしいんですよ…だからお願いします、違法コピーしないでCDショップで買ってください、後生ですから」


くらいの腰の低さが欲しいものですね。




と、言うわけで僕からも
恥ずかしながら私、キャロルはこのページの記事、画像についての著作権を主張します。というのも僕は内田先生とは違い、無名な人間なので、万に一つ、これと同じ内容が大手ブログにリンクなしで無断転載されるとここには人が来なくなってしまいます。そうすると寂しがり屋の僕は生きていけませんし、次の記事を書く気が起きなくなってしまいます。だからここで弱者のための法に守っていただきます。

と書いてみましたが、リンク張ってくれるなら断ることなく転載しちゃってください。コメント増えると嬉しいので;;

コメント

私が見てあげるよ(
Σ(゚ロ゚;)

し、試験があるのか、こんな時期に…。大変そうだー。

あったねー、路面電車内のJASRACポスター。男の表情が切実すぎていまだに記憶に残っています。

>僕ときゃんでぃそふとのように「カブる」可能性は上がっていきます。


ここのせいで一気にきゃんでぃそふとのことしか考えられなくなってしまった件
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